(4) 多数出土地は製造地

☆製造地近辺を示す数々の事実

24個出土した滋賀県野洲町の大岩山遺跡と39個出土の加茂岩倉遺跡では、 入れ子という大小あるいは大中小という銅鐸の重ね入れが多く見られていること、 それと形と文様が明確なものがほとんどであること、 出土環境が類似していることが特徴である。 つまり、1〜2個といった通常の場合のように集落に面した側に近い山腹などに多く出るのとは違って、 山道を少し入った、やや奥まったところから出ている。 加茂岩倉を前方に見て坂道を登りながら撮影したのが右の写真である。 加茂岩倉遺跡付近
加茂岩倉遺跡付近
(前方斜面中腹)
道の片側に水田が拓かれてはいるが、平地に広々と拓かれたものではなく、 後々の時代に、山地の開墾によって造営された棚田で、立地条件の悪い水田である。 今日でさえ集落からは相当に離れた山中である(下図)。
加茂岩倉付近鳥瞰図
加茂岩倉付近鳥瞰図
それと花崗岩質の砂地が主体で両地とも赤松林である。 山の斜面に対して格納場所の底面が水平になるような窪地あるいは横穴のようなものを掘って、 水や土砂が流れ込まないような工夫をし、底面に木材や竹、熊笹あるいは稲藁などを敷き詰め囲いを作り、 その上に銅鐸を入れ子などにして並べ置いたと推定される。 簡単な覆い屋根も設けたと思われる。 「埋納」論の根拠とされる縞状の土層や銅鐸周囲の土質変化は、 自然地層のできるプロセスや銅イオンによる土質変化を埋土と錯覚したことによる。

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