弥生は銅鐸の時代  


三遠式銅鐸
銅鐸民族の悲劇
銅鐸の秘密
銅鐸民族の謎
臼田篤伸の弥生時代論

 一昨年、弥生時代の開始が500年遡ることが、土器に付着した「おこげ」の炭素年代測定により明らかになったと国立歴史民俗博物館から発表されました。これは、稲作の開始と弥生時代の開始をイコールとする考えにもとづいています。しかし近年、稲作は縄文時代からすでに始まっていたことが数々の事実によって明らかにされています。この「おこげ」の付着した土器自体、縄文式土器の可能性が十分にあるのです。 とくに九州では代表的な縄文式火炎土器はみられないため、両時代土器の区分けがキチンとできていません。また下記のように両時代は民族の入れ替わり(断層)を伴っていて土器の形態も基本的に変わります。よって晩期縄文式土器という表現自体が間違っているわけで、これが時代錯誤を生み出す元になっているのです。弥生時代を定義するものさしを根本から見直す必要がおわかりいただけたでしょうか。

 そこで、この時代に特徴的に現れた青銅器の意味が重要性を帯びてくるわけです。古代史における時代の大断層とは、侵略者が持ち込んだ未知なる物に翻弄され、先住民が大混乱を引き起すことによって生じるといわれます。弥生の原動力とは、中国の戦国時代を生き延びた難民達によってもたらされた青銅器にあったとみなければなりません。


 よって、この時代の青銅器の謎の解明が何よりも重要なのです。とりわけ銅鐸は、この時代の始まりと終わりを決定付けたといって過言ではありません。銅鐸民族は大陸から侵入した後、縄文人の駆逐には成功したものの、あくまでも銅鐸による情報伝達に固執し続け、文字文化にありつけなかったために天孫族の前にあえなく壊滅したのです。この最重要課題が今日、「祭り」と「埋納」に呪縛されたまま迷走を続けている状況です。銅鐸の本を開くと、ことごとく「銅鐸はなぜ埋められたのか?」がメインテーマになっています。銅鐸は一風変わった所から出土するためほとんどの専門家が「埋められた」という先入観に囚われるのです。どのような考古遺物に対しても、その研究へのスタートは「埋まっていた」ことにあるのは言うまでもありません。

 「埋められた」との銅鐸論をまず拒否してこの青銅器を捉えると、弥生と銅鐸の謎が次々と氷解していきます。臼田篤伸著の2冊の銅鐸書は各地の銅鐸出土地を見学した上で、これが使われた時代背景を徹底研究しその成果を記したものです。ご一読頂き、最新の「銅鐸知識人」になっていただければこの上ない喜びです。